こんにちは、森友ゆうきです。
誰かのために、がんばる。
その姿は、とても美しいものです。
でもふと、
「これって、誰のために、何のためにやっているんだろう?」
そんな問いが胸に浮かぶことはありませんか?
人は、目の前の役割に一生懸命になりすぎると、
自分自身の軸が、少しずつわからなくなることがあります。
今回は、“頑張る”の奥にある「在り方(Being)」というテーマで、
あなた自身とやさしく向き合う時間をお届けします。
言葉にならないモヤモヤを、すぐに解決しようとしなくてかまいません。
その違和感の奥に、本当のエネルギーの源があるかもしれないからです。
【最新記事の目次】
第1章|頑張り続けて、ふと立ち止まったとき
「がんばらなきゃ」
そう思って動いてきた日々。
誰かの期待に応えたくて、
結果を出すことで役に立ちたくて。
忙しさの中でも、責任感に突き動かされるように、
前に、前にと進み続けてきた。
でも、ある日ふと。
会議が終わった静かな事務所で、お店で。
帰り道の夜道で。
あるいは、朝の電車で窓の外をぼんやり眺めているとき。
「これって、誰のために、何のためにやってるんだろう?」
そんな問いが、心に浮かぶ瞬間が訪れることがあります。
疲れているわけじゃない。
やりがいがないわけでもない。
それでも、
「自分の気持ち」が、どこかに置き去りになっているような感覚になる。
いつの間にか、
“頑張ること”が目的になっていなかっただろうか。
そう問いかけるのは、
決して弱さではなく、「自分に正直に向き合おうとする強さ」だと思うのです。
第2章|私を突き動かしていた“見えない誰か”
「迷惑をかけないように」
「もっと頑張らなきゃ認められない」
気づけば、そんな言葉を自分に向けていた。
リーダーとしての役割を背負う中で、
いつの間にか「誰かの期待」に応えることが、自分の判断基準になっていた。
でも、その“誰か”は、はっきりとした存在ではないことも多い。
- 過去に褒めてくれた上司
- 幼い頃に厳しかった親
- 成績を評価する数字や社内の空気
それらは、“今ここにいる私”を見てくれているわけじゃない。
でも、私の中に残っている「見えない誰かの目」が、ずっと私を動かしてきた。
それは、責任感でもあり、誠実さでもあり、
時には自分を守るためのビリーフでもあったのでしょう。
けれど同時に、
自分自身の声を遠ざけてしまう原因にもなっていたのかもしれません。
「この判断は、誰の基準だったのか?」
「“やらなければならない”と思っているのは、誰の声か?」
その問いを持つことは、
今の自分の行動に“選び直す自由”を取り戻すための第一歩です。
第3章|「私とは誰か?」を整理する5つの視点
NLPニューロロジカルレベル
ここで、少し立ち止まって。
今のあなた自身を、5つの視点で静かに見つめてみましょう。
この考え方は、NLP創始者のひとりである
ロバート・ディルツ氏が提唱した「ニューロロジカルレベル(論理的階層)」に基づいています。
私自身も、この理論を直接ディルツ氏から学びました。
その中で気づいたのは──
「私は誰か?」という問いに答えるには、
まず“外側”から順に見ていくことが大切だということでした。
1|環境(Where?)
あなたは、どんな場所で、誰と関わりながら過ごしていますか?
職場、家庭、地域社会。
あなたが身を置いている「場」が、今のあなたにどんな影響を与えているか。
2|行動(What?)
あなたは日々、どんな行動をしていますか?
本当にやりたいことを選べているか。
それとも、“やらなければ”で動いているか。
3|能力(How?)
あなたは、どんなスキルや工夫でそれを行っていますか?
その「やり方」は、あなたの価値観と結びついていることが多いのです。
4|信念・価値観(Why?)
なぜ、あなたはその行動を選んでいるのでしょうか?
大切にしている考え。譲れない想い。
5|アイデンティティ(Who?)
あなたは、どんな存在としてその場に立っていますか?
私自身は、長年悩みながら、ようやく言葉にできました。
私自身のアイデンティが腹に落ちてから、
迷ったときも、立ち止まったときも、戻ってくる場所ができました。
あなたにとっての「私は、◯◯な人」は、どんな言葉になりますか?
第4章|“誰かのため”という力と罠
「誰かのために」
この言葉には、特別な力があります。
でも同時に、それは罠にもなる。
誰かの期待を優先しすぎて、
自分の声を置き去りにしてしまうこと。
自分の頑張りが評価されないと感じた瞬間、
一気に力が抜けてしまうこともあるかもしれません。
「誰かのために動く」というエネルギーは、
“誰のため”を見失ったときに、枯れてしまうことがある。
だからこそ、“誰のために頑張るか”を、自分で選び直すことが大切なんだと思うのです。
第5章|私は、誰のために頑張っているのか?
これまでのすべての章は、
この問いに戻ってくるための準備だったのかもしれません。
「私は、誰のために頑張っているのか?」
誰の期待でもなく、
誰かの価値基準でもなく。
「私は、こう在りたいから、こうしている」
そう言える感覚が、自分の中にあるかどうか。
私自身、この問いに向き合い続ける中で、
ようやく言葉にできた“在り方”があります。
私は、店長や現場のマネジャーを幸せにする人。
この言葉があることで、
迷ったときにも、立ち返る場所があります。
私は、この言葉がアイデンティ(自己同一化)まで落ちているので勉強もするし、ブログを書いています。
あなたにとっての「私は、◯◯な人」は、どんな言葉になるでしょうか?
たとえば──
「私は地方のしがない公務員です」と考えるのと、
「私は、地方の不便や不満を解決する公務員です」と考えるのとでは、
同じ職場・同じ仕事内容でも、選ぶ行動や発揮する能力はまったく変わってくるかもしれません。
その言葉は、肩書きではなく、評価でもなく。
あなたが“自分で決めた存在としての宣言”です。
これがニューロロジカルレベルの上位階のアイデンティです。
あなたにとっての「私は、◯◯な人」は、どんな言葉になりますか?
今日、ここまで一緒に歩んできたこの時間が、
あなたが“自分のために立つ”はじまりとなりますように。
森友ゆうき