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創業者にして“影のリーダー”藤沢武夫
ホンダの創業者といえば本田宗一郎氏が知られていますが、もう一人の創業者であり、“縁の下の力持ち”として世界的企業を支えた男がいました。
それが、藤沢武夫氏です。
晩年、藤沢氏は「技術には口を出さない」と宣言し、自らは副社長として経営・財務・販売戦略・組織構築のすべてを担いました。
本田宗一郎が夢を語り、技術を突き詰められたのは、藤沢氏という“戦略的フォロワー”の存在があったからこそです。
生活の中での「気づき」から始まった物語
1970年当時、日本では光化学スモッグが社会問題となり、都心では子どもを外で遊ばせられない日も増えていました。
ホンダの一社員であった藤沢氏は、この状況に強い危機感を抱きます。
アメリカの学術論文で「今後、自動車業界には排ガス規制が不可避となる」とする記述を目にし、こう直感します。
「このまま“速くてかっこいい車”づくりにこだわっていたら、ホンダは取り残される」
「今後を考えて“環境に配慮した車”を開発すべきだ」
その思いを、彼はで本田宗一郎氏に提言として届けました。
しかし、当時の宗一郎氏は“環境対応”には全く関心がありません。「そんなものには付き合っていられない」と話していたと伝えられています。
3. フォロワーとしての藤沢武夫氏の功績
1970年、アメリカで制定されるマスキー法(自動車の排出ガスを10分の1にする規制)を前に、業界は「不可能」と騒然とする中——藤沢氏の提言が、世界初のマスキー法対応エンジン、すなわちCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)エンジンの開発へとつながります。
これは触媒を使わずに排ガスをクリーンにする世界初の革新技術でした。
世界が驚いた“CIVIC”の登場
1972年、CVCCエンジンを搭載したホンダの新型車「CIVIC」が発売されます。
この車は、ビッグ3(GM・フォード・クライスラー)ですら突破できなかったマスキー法を唯一クリアし、世界に衝撃を与えました。
1973年には第一次オイルショックが発生。
低燃費・環境対応車に一気に注目が集まり、ホンダは一躍“環境対応のリーディングカンパニー”となります。
この成功の出発点にいたのは、藤沢武夫氏の問題意識と、それを承認したトップの決断だったのです。
リーダーを変えた“フォロワーの力”
晩年、本田宗一郎氏はこんな言葉を残しています。
「いつの間にか私の発想は企業本位のものになっていた。
若いエンジニアたちがそれに気づかせてくれた。
彼らが育っているなら、自分は退き、任せた方がいい。」
これはまさに、フォロワーの力がリーダーを動かし、組織の方向性を変えた象徴的なエピソードです。
フォロワーシップとは、未来を動かす“影の推進力”
フォロワーとは、ただ指示を待つ人ではありません。
気づき、声を上げ、必要なら上司に進言し、未来を変える提案をする存在です。
藤沢武夫氏は、まさに「自らは前に出ないが、チーム全体を前に進める存在」として、フォロワーシップの理想像を体現しました。
今の時代、こうした「支える力」「補完する力」「空白を埋める力」が、あらゆる職場に求められています。
まとめ|一人の問題提起が世界を変える
現場では即断即決のリーダーシップが求められますが、本部や上層部に近づくほど、求められるのはフォロワーシップの力です。
なぜなら、経営層の意思決定を支える中間管理職や参謀は、単なる「イエスマン」では機能しないからです。
自ら考え、盲点を補い、時に進言しながら、全体最適でチームや会社を前に進める人——それが「影のリーダー=フォロワー」の真の役割です。
フォロワーシップを研究していたカーネギー・メロン大学の”ロバート・ケリー教授”はこのように提唱しました。
組織の成功の8割は部下が担っている。
たとえ表舞台に立たなくても、未来を変える力は持てる。
藤沢武夫氏のように、「支えることで世界を動かす」存在が、今の組織にも必要なのです。
あなたの一つの気づき、提案、行動が、次の未来を動かすかもしれません。
森友ゆうき