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易経と脳梗塞が教えてくれたこと|陰と陽のバランスで歩む6つのステージ
こんにちは!森友です。
”易経”といえば、日本では”占い”として有名ですが、単なる占いとは異なる強烈な学びを、あなたにシェアしたいと思います。
人生のライフサイクルから現代の課題まで全てが易経で説明がつくほど奥深い学びがありました。
中居正広、松本人志、ジャングルポケット斉藤、フジテレビ、大谷翔平の通訳(水原一平)──。
近年の芸能・スポーツ界では、有名人のスキャンダルや転落のニュースが後を絶ちません。
昨日までヒーローだった人が、ある日突然バッシングの渦中へ。
「どうしてあの人が?」と思う出来事も、よく見れば必然です。
なぜなら、この世には“陽が極まれば陰が訪れる”という真理があるからです。
これは芸能界に限った話ではありません。店長も、リーダーも、順調な時こそ“落とし穴”が潜んでいます。
今回は、東洋最古の叡智『易経』の第一卦「乾為天(けんいてん)」をもとに、
リーダーがたどる6つの成長ステージと、変化と謙虚さの意味を最後に私の経験も含め、読み解いていきます。
第1章|潜龍(せんりゅう)、まだ動くな|未熟さを受け入れ、動きを待つとき
「潜龍、勿用(せんりゅう、もちうるなかれ)」──
龍はまだ水底に潜み、時を待つ存在。力はあるが、いまはその力を使うべきではない。
それは、未熟さを否定せず、むしろ受け入れよという教えでもあります。
店長に就任したばかりの時期、多くの人が「店長らしく振る舞わなければ」と思い込みます。
堂々と指示を出したり、前任者と同じように数字の話をしたり…。
でも本当は、まだよく分かっていないのが普通です。
店長就任直後にありがちな誤解
- 「上司や部下の期待に応えなきゃ」
- 「前任よりも“できる店長”を演じなきゃ」
- 「早く自分の色を出さなきゃ」
しかし、易経が最初に教えているのは、“動かない勇気”です。
まだ現場の文化も人間関係も見えていない段階で、自分の判断を押し出せば、空回りや反発を生むのは当然のこと。
店長1年目の鉄則
最初の3ヶ月は、“店長らしく”振る舞わなくていい。
むしろ「新人として見せた方が、信頼は早く築ける」と言ってもいいかもしれません。
「見えていないことに、見えているふりをしない」
「わからないことは素直に聞く」
「先輩スタッフのやり方に敬意をもって学ぶ」
それこそが、後に“飛龍”へと成長するための第一歩なのです。
第2章|龍、田に現れる|信頼が芽吹く“はじまりの地”
「見龍在田(りゅうをたにみる)」──
龍が田んぼに姿を現す。まだ空へは飛び立たず、地上の人々と同じ目線に立つ。
それは「力を誇る」前に、「人とつながる」ことの大切さを教えてくれる言葉です。
店長として現場に立ち始めたばかりの時期。
何かを変えようと張り切る一方で、まだ周囲には警戒心や不安もある。
そんななかで、少しずつ「この人なら大丈夫かもしれない」と周囲が心を開いてくれる瞬間。
それが、この“田に現れる龍”の姿です。
この時期に求められるのは、「自分をどう見せるか」よりも、
「相手をどう受けとめるか」の姿勢です。
易経には「利見大人(たいじんをみるによろし)」という言葉も続きます。
謙虚に構えていれば、導いてくれる人物と出会える──それがこの章のメッセージです。
本当に大切な人間関係は、堂々と振る舞うことではなく、
“聴く姿勢”や“受けとめる心”によって生まれます。
信頼は、数字では測れない。
それは「自分よりも、相手を先に見る」その目線から育つのです。
飛び立つ前の準備期間は、地味に見えるかもしれません。
けれど、田で身を低くし、周囲をよく見ることが、
この先「飛龍が天に在る」ための、何よりの土台になるのです。
第3章|終日乾乾(しゅうじつけんけん)、夕惕若(せきようのごとし)|成果の裏にある“慎みの知恵”
「君子終日乾乾(くんし しゅうじつけんけん)、夕惕若(せきようのごとし)、厲无咎(あやうけれども とがなし)」──
君子は一日中努力を続け、夕方になっても油断しない。
危うさを感じながら進めば、失敗はない。
これは「成果を出し始めた者こそ、もっとも慎むべき」という警告でもあります。
現場での采配にも慣れ、売上や指標も安定してきた頃。
部下との関係も良好で、数字も動き始め、自信がついてくる。
でも――ここが危ない。
このステージは、「順調」の影に潜む慢心や過信、視野の狭まりに注意すべき時期です。
2000年前の易経は、どこまでいっても、常に謙虚でいなさい、注意しなさいと説いています。
「慣れ」と「驕り」は紙一重
- 朝礼での声かけが形だけになっていないか?
- 数字を達成したことで、改善の手を止めていないか?
- 「このやり方が一番」と決めつけていないか?
何もかもが“まあまあうまくいっている”とき、人は自然と油断します。
でも、ここでこそ「夕惕若」=夕べにもなお慎み深くあれというのが、易経の教えです。
謙虚さを“習慣”に変える
この章の学びは、「初心を忘れずに」ではありません。
もっと実践的に、“謙虚でいられる仕組み”をつくることが重要です。
- 振り返りの時間を必ずとる(週1回でも)
- 部下からフィードバックをもらう機会を設ける
- 過去の成功例だけでなく、失敗例を共有する
驕りやミスは、意図的に仕組みで防ぐもの。
“順調なときほど、警戒せよ”というメッセージを、日々の行動に落とし込むことが求められます。
順調な時ほど、謙虚さを失いやすい。
成果が出ているからこそ、「夕方にもなお、慎みを忘れない心」が問われるのです。
第4章|或いは淵に躍る|挑戦の前に“深く身構える”
「或躍在淵、无咎(あるいは えんに おどる。とがなし)」──
龍が淵に身をひそめながらも、跳び上がろうとしている。
このタイミングで飛び出しても、過ちにはならない。
ただし、それは“準備が整っていれば”の話です。
リーダーとして一定の結果を出し、社内での注目も集まりはじめる頃。
大型店への異動、新人教育の担当、本部プロジェクトへの参加…。
“次のステージ”の話がちらついてくるフェーズです。
心のなかには、「やってやるぞ!」という高揚感と、「自分にできるかな…」という不安が入り混じっている。
まさに「淵に身をひそめつつ、跳ねようとする龍」の姿です。
易経が教える、“飛ぶ前の身構え”
易経は、この状態を「とがなし(咎なし)」=飛び出しても問題ない、としつつも、
その前提として、十分な準備と自己認識を求めています。
- なぜ挑戦したいのか、自分の中で言語化できているか?
- 現場を置いていくことに対して、後任を育てられているか?
- 「任せる」覚悟が、自分の中にあるか?
飛躍は“ひとりの努力”で成し遂げられるものではなく、周囲との連携が試される場でもあります。
謙虚さを忘れると、飛躍は“独走”になる
このステージでの失敗例は、「自分が目立てばそれでいい」という独走感。
飛び立つ者が周囲を見失うと、あとには“空っぽの現場”が残るだけです。
だからこそ、飛ぶ前に深く腰を落とすような姿勢が問われるのです。
それは、目線を下げ、仲間や後任、部下の状況まで見渡すこと。
店長としての学び
挑戦すること自体は、素晴らしい。
ただし、「ひとりで飛ばず、周りを見て飛べ」。
それが“咎(とが)なし”の条件です。
第5章|飛龍(ひりゅう)、天に在り|最も輝くとき、もっとも謙虚に
「飛龍在天、利見大人(ひりゅう てんにあり。たいじんをみるによろし)」──
龍が天に昇り、空を自在に舞うように、リーダーとして力を発揮する。
しかしそれは、「大人(たいじん)」=他者の目を忘れてはならない、という戒めでもあります。
店長として完全に現場を掌握し、成果も組織も安定している時期。
店の雰囲気も良く、スタッフが自律的に動き、数字も右肩上がり。
「信頼されている」「必要とされている」と実感できる、まさに飛龍が天に在るような瞬間です。
この章が象徴するのは、「影響力のピーク」
この段階での店長は、売上を動かすことも、部下を動かすこともできる。
言葉ひとつ、視線ひとつで、現場の空気を変えられる力を持ちます。
だからこそ易経は、「利見大人」=大いなる人物を見る(自分ではない)ことを勧めています。
「自分の成果」ではなく「他者をどう育てたか」
真のリーダーとは、
「自分がすごい人」ではなく、
「周囲に“すごい人”を増やせる人」です。
このステージでは、自分の手柄よりも「部下が育った」「現場が自走するようになった」ことこそが、最大の評価ポイントです。
謙虚さが、頂点を“孤立”から守る
陽が最も極まるとき、人は気づかぬうちに独善的になります。
誰も表立っては反論してこない。
注意してくれる人も少なくなる。
それが、頂点に立つ者の“孤独”です。
謙虚さは、そんなときこそ自分を守る盾となるもの。
- 「現場から上がってくる声を聴く」
- 「今の自分はどう見られているか」を問い直す
- 「調子のいいときにこそ、後任の芽を育てる」
自信があるときこそ、人の言葉に耳を澄ませる。
飛龍が空を舞っても、地に目を向けている。
それが、“天に在る者”の美しさです。
第6章|亢龍、有悔|頂点を越えたとき、人は悔いる
「亢龍有悔(こうりゅう くいあり)」──
昇りきった龍は、さらに上を目指そうとして天井にぶつかる。
そこにあるのは、成長ではなく孤立と慢心の罠です。
力を発揮し、成果も人望も手に入れた。
多くの人に認められ、自分にも確かな自信があった。
けれど、そのときこそが、最も危うい瞬間だったのかもしれません。
私自身が“亢龍”だった
私もかつて、講師として充実した時期がありました。
現場に立てば受講者が引き込まれ、アンケートも高評価が並び、
「このまま突き進めば、自分はもっと成長できる」と信じていました。
でも、ふと立ち止まる前に、身体が止まってしまったのです。
脳梗塞でした。
振り返ってみると、あの頃の私は謙虚さを失いかけていました。
自信があることが悪いわけではない。
でも、誰かの助言や違和感を「自分には関係ない」と受け流していた部分が確かにあった。
それこそが“亢龍の悔い”だったのだと、今ははっきり言えます。
易経のメッセージは、やさしく厳しい
「有悔」とは、“失敗する”ではありません。
“悔いることになる”という、未来の忠告です。
この忠告を、自分のこととして受け取れるか。
それができれば、人は頂点で止まらず、再び地を歩く龍へと還ることができるのです。
今うまくいっている人にこそ、この章を届けたい。
昇りきったその先に、“もう一段上”はない。
あるのは、「降りる準備」と「譲る心」。
それを知っている人こそ、次の世代を育てられるリーダーです。
締めの章|陰陽の道を歩むということ
私が『易経』を学び始めたのは、脳梗塞で2年間の休職を余儀なくされたことがきっかけでした。
順調だった47歳。講師としての評価も高まり、自信に満ちていた時期。
けれど、その裏側では、少しずつ謙虚さが薄れていたのかもしれません。
復帰を目指す中、私はNLPを一から学び直しました。
そこで紹介された新しい講座が「東洋思想」──その中に『易経』がありました。
受講料は38万円。迷いもありましたが、
心理のプロたちが世界中から選び抜いたこの知恵は、必ず自分の血肉になると確信し、受講を決意しました。
そこで私が教わった言葉を最後に紹介します。
「人生で起こる逆境や挫折を、利益に変える」
「逆境や挫折、障害、困難を、将来プラスに転換しようとする思考を持ち対応する」
「失敗や挫折を、利益に変えていく」
講義のなかで講師がそう教えてくれました。
それはまさに、『易経』が伝える「陰があれば陽が来る」という思想と、深く共鳴するものでした。
あの闘病を、私は「刺客」ではなく「教材」として受け入れることにしました。
すると、ただ苦しかっただけの経験が、自分を変える“きっかけ”へと変わったのです。
良い時もあれば、悪い時もある。
それは誰にとっても変わらない。
陽が極まれば陰が訪れ、陰が極まればまた陽が来る。
それが『易経』──乾為天(けんいてん)が教えてくれた、この世界のしくみです。
だからこそ、
部下や上司が苦しんでいるときには、そっと手を差し伸べる。
そして、自分自身が苦しいときには、「乾為天」の六つのステージを思い出す。
今、自分はどこにいるのか。何を学ぶべきときなのか。
それがわかれば、
人生のどんな瞬間も、「本質に導く学び」へと変えることができるのです。
森友ゆうき